楽になる片付け

自分を大切にするためのお片付け、手伝います。

子どもに負担を与えている私……

以下 青文字は産経新聞2022年3月4日 神奈川版「認知症のある人 傷つけない言葉を」 より一部引用。

 

治せない人を「患者」と呼ぶのには違和感がある。相模原市認知症疾患医療センター長 大石智さん

「認知症のある人」「認知症とともに生きる人」と表現するのが望ましいと指摘する。

 

「問題行動」や「異常行動」とひとくくりにまとめると背景にある理由が見えにくくなる。英アルツハイマー病協会は

「問題行動」→「苦悩による行動」

「チャレンジング(何かを訴えかける)行動」と言い換えるよう提案している。

決めつけや単純化を避け、ていねいな言葉で表現するのが基本原則。

その人が「できないこと」ではなく「できること」に重点を置くよう求める。

 

国などの認知症施策では介護する側の「負担」を減らす必要性が指摘される。

だが、当人にしてみれば「負担を与えている私」を常に意識させられる表現に他ならない。

「なかには介護を通じてつながりを確かめ、支える喜びを感じる家族もいる。社会的なマイナス面ばかりではなく、認知症とともに生きる人が前向きな思いを抱くことができる言葉が必要だ」と大石智さん。

 

この記事を読み、共感しました。

過去の経験を振り返ると教育現場で生徒の困った行動を「問題行動」とは思わず、私は生徒からの「SOS」として、とらえておりました。

よく観察していれば、どういう時に困った行動が起きやすいかなどが分かります。

行動の意味を考えられます。

A先生は問題行動と捉えても、それは間違えていて単に意欲的、積極的に行動しただけでそもそも問題行動ではないこともあります。

また教師側が生徒に問題があると思っている時は、大抵全然うまくいきません。

「どーせ 俺 問題児ですから」とでもいうかのように、期待にそってしまうと言ったらいいのでしょうか。できないこと、苦手なことにフォーカスを当てず、できるところに重点をおいて肯定的な温かい目で見られるとうまくいくのをみてきました。

もし何か困った行動があるとすれば、それは環境設定を見直す必要があるのではないでしょうか。

 

片付けでも似たようなことが言えます。

例えば、片付けられない親の「ため込む行動」を「問題行動」と単純化して捉えてしまうと上手くいかないはずです。

物をため込んでしまう背景には、例えば、足腰が痛くて捨てづらいとか、廃棄の仕方が難しいとか、それはそれは様々な背景があります。

特に「親の家の片付け」は、手伝ってもらう側の親からすれば、

子どもに「負担を与えている私」を意識させられてしまうことにもなり得ます。

それが辛くて、「一緒に片付けよう」という子どもからのオファーを断ることもあるかもしれません。