楽になる片付け

自分を大切にするためのお片付け、手伝います。

子どもと遊んであげてほしい理由

私の父。

子育てと家事を全然しない人でした。

寡黙で話も全然しませんでした。

私が大人になって、私から話すようになれば会話は増えましたが‥‥‥。

 

なぜ、そんな人なのかと言うと、父が私の祖父とおそらく情緒的な?コミュニケーションを取ってこなかったからです。

私の祖父は酒を飲むと、祖母に暴力を振るう人だったようです。

うろ覚えですが私が祖母から聞いた話では、戦争中に将校?上官にあたる人?がキツくて祖母に八つ当たりしたとか???(でも父は戦後生まれだなあ)

酒乱で、危ないから? 教育上よろしくないから?父は近くにある祖母の実家に預けられていたそうです。小学生くらいの時に当たり前のように私の曾祖父宅に帰る息子(私の父)にお前の家はここだよ、と呼び戻したとか。(^_^;)

父は私の祖父とたぶん全然、話をしていないのだと思います。

父は高校卒業後、有名企業に就職し東京だか神奈川に出てきました。

普通なら長男が家に残るものだろうに、なぜ父は出てきたのか、私は自分が大人になってから疑問に思い、父に聞いたところ、やはり私の祖父がDVをする人だったから。夫婦喧嘩というよりDV野郎だったからみたいです。

父の弟が成長して強くなり、私の祖父より強くなってからは、爺さんは暴力的ではなくなったとか。

まるで猿山の世代交代?(笑)

私にとっては全く害のない祖父でした。

可もなく不可もなし。

 

こういう背景を知ると、なるほどね。

自分が父親との交流が全然なかったから、

子どもの私ともどう関わってよいか分からなかったのね。と、納得というか腑に落ちるところがあります。

 

父が身体的なDVを母にしなかった点では、連鎖を絶つことができてよかったとは思います。

 

こういう話を聞いたのは私がある程度大きくなってからです。

 

私が子どもの時に父と母はよく喧嘩をしていました。

母「子どもと少しは遊びなさいよ」

 「何か話したりしなくてよい。車に乗ってドライブでもいい」

 「今しなきゃ後悔するよ」「大きくなってからでは遅い」

父「親はなくとも子は育つ」

 

自分の親が子供のこと(私のことで)喧嘩をしているのです。

 

母は、「お父さんは仕事で疲れていて、休みたいみたい」と私に伝えました。

 

親の喧嘩が辛い私、優しい気持ちのある私は「大丈夫です。私のことで喧嘩しないでください。私は近所の友達と遊びます。友達が不在のときは、虫を観察したり、蝶々を追いかけたり、引出しの中を整理したり色々と一人でも楽しめますので、たまの休みくらい休んでください。」と心から思っていました。

 

こうして私は一人で楽しめる性格?になりました。(実際、自然環境は良いし、ご近所さんはよい人たちばかりで特に寂しいと感じたことはなかったかもしれません)

ただ、よそのお家と比較して我が父親はあまりおもしろくないなあとは思ってました。父に性格変わってほしいとか遊んでもらいたいとかは思いませんでした。

近所の友達のお父さんとバレーボールしたりバドミントンをしたり、友達の家族が海や教会に行くときに私も連れて行ってもらえたり、別にどこの家庭に生まれても私は楽しく暮らせたなと思っていました。

 

父が遊んでくれなくても、なんとなく愛情は感じていたし、私は誰かに遊んでもらえなくても楽しめるので全く問題はありませんでした。

 

ところがです。

 

自分が、出産をし我が娘をかわいいと思えば思うほど、父のことを疑問に思いました。

子どもって、こんなにかわいいのに、なぜ関わらなかった!?

なぜ家のパソコンでゲームをずっとしたり、パチンコに行ってりばかりで何故、全然関わらなかった? 

 

愛されていなかった疑惑が出産後に出ました。

 

そんな過去のこと振り返っても仕方ないのですが、父のバックグラウンドを知っていても理解に苦しいところがありました。

本当に忙しいわけじゃなく、自分のことばかりしていたな〜と。

 

子育て中の日々は忙しく飛ぶように過ぎていくのですが、ふとした時に「なんでなんだ?」と思うのです。仕事で不在とか死別とかではなく、休日に家にいるのに関わらない不思議。愛されていなかったのかもという疑惑は地味に痛い感じがありました。

 

理解不能だけど、まあ健康で大きくしてくれただけでいいやと思いながら私は暮らしました。

 

父が癌で亡くなる直前に、振り返ってみても父との思い出が全然ないような気がして、ふと「こんなことならもっと遊んでおけばよかった」と思いました。

ずっと頭にあった疑問「なんで子供のころに遊んでくれなかったの?」と私は父に言いました。父は癌で亡くなる直前、苦しくて身の置き所がないような状況の時にもかかわらずです‥‥‥。

 

父は「ゆとりがなかった」と答えました。

そして「思い出して」と言いました。

 

思い出してと言われたら、一瞬で確かに少しは遊んでもらったことを思い出しました。

オセロしたりゲームを一緒にしたり、箱根にドライブしたり、関わった時間や回数は少ないけど色々関わってくれたことを思い出しました。

 

亡くなる前に疑問に思っていたことを聞けて、私はよかったですが、父は何を思いながら逝ったのでしょう。

もしかしたら後悔しながら去ったかもしれません。

死人に口無しなので、後悔したかどうか確認は勿論できません。

 

一見、片付けとは全く関係ないことを書いているように見えますが、実はこんな育ち方は我が夫と私の関係に凄く関係していたことに気が付きました。

続く。

(続きはこちら↓)

tryeverything.hatenablog.jp