私が囚われていた「しなきゃ」は、子供の前で夫婦喧嘩しないようにしなきゃ、かな?
かつて片づかない理由は全て夫のせいだと思っていました。
夫の持ち物が多いから。
マニアックな夫の趣味の所有物は話を聞かないと何の部品だか分からず分類さえできない。
夫の所有物以外はどうしたらよいか分かるけど、彼の持ち物に関してはサッパリ分からない。
だから夫のせいで片付けられないと思っていました。
でも、原因はそれだけではなくて私のせいでもありました。
私の子どものころからの考え方の癖、性格に問題がありました。
前回書いたのを読んでいただけると分かりやすいのですが、
私はこんな風に育ったもので……。↓
子どもと遊んであげてほしいというよりは、話を聴いてあげてほしいかもしれません。
私は父とは違うタイプの人を夫として選んだつもりだったのです。
片付けは苦手だけど、料理や洗濯はする。
お酒を飲まない。(飲めない)
父ほどには男尊女卑ではない。
色んなところへ出かける。(子供をどこかへ連れて行ってくれそう)
ギャンブルしない。
ところが、
自由人っぷりは同じだった。
私を放置しすぎなところは全く同じだった。((笑)
こういうのを、心理学では
トラウマの再演と言うらしいですよ。よかったら調べてみてください。
トラウマの再演は、無力感から逃れ、自ら状況をコントロールできる感覚を得るための対処法ともいえるようです。
災害や大きな事件とか事故とかだけではなく、機能不全家族だったりいろんなケースでトラウマになることがあるようです。
私の場合、問題なのは自分がまたもや「夫は仕事で疲れているのでしょ 仕方ないね、どーぞ 発散してきてください」マインドがあったこと。
対象が父から夫に変わっただけ。本当に再演だわ (笑)。
父に対しての「休みの日はパチンコ行っていいよ」が、夫に対しての「大自然の中に行ってきていいよ」に変わっただけ。
病気になられるよりマシ!
趣味で回避できるのならその方がマシ。
そう思っていました。
だから、すぐどっか行っちゃうのよね。
それにね、
私って夫に構ってもらわなくても楽しく過ごせる力が付いちゃってる!
結構 一人時間好き。
中島みゆきの歌じゃないけど「ひとり上手」(謎)
これも私が子供時代に身に着けた能力。
子供時代の環境はベースになるらしいですよ。
それが適切だろうと不適切だろうと、子供時代の環境を居心地よく感じてしまうところが人にはあるというのをどこかで聞いたことがあるような。
(だからこそ 私は今のお仕事をしているのだと思います。)
「ほどよく距離をとりなさい」
なんていう本もあるくらいだけど、距離感って本当に難しい。
適度な距離感は夫婦によって違うでしょう?。
自分で言うのも難ですが、基本の性格は恐らく優しいのです。
他人の大変さが分かる。
そして他人を優先してあげるところがあるのです。
どーぞどーぞって。
でも、優しすぎは他人にも自分にも実は優しくないのです。
他人のためにもならないし、自分のためにもならない。
一見、他人を優先しているようにみえるけど、私自身が夫からの愛情を?受け取り拒否していたのかもしれません。
「求めよ、さらば与えられん」と言いますよね?
求めてないから与えられるわけがなかったのかもしれません。
育ち方により、気にかけてもらうのを求めていなかったのかもしれません。
傷つきたくなかったからかな。
求めて拒否されるよりは求めない方がいいと思っていたかもしれません。
傷つかないようにするための自己防衛手段だったのかも。
でもあまりにも気にかけてもらえず揉めたのですが(笑)。
コロナ禍になってから夫の仕事が大変なのが、簡単に想像できました。
いつも、ものすごく疲れて帰ってきます。
そして、今は話しかけたら可哀そう。
休日は息抜きは必要だろうと思いやり、タイミングを見計らっていたらどんどん遅くなりました。
私は自己主張も勿論します。
自分の要求を伝えられます。伝えています。
でも、きっと主張が弱かった。
我が夫には特に強めに主張しないと響かないのでした。
それと、私の主張が控えめだったのは「夫と喧嘩をしたくなかったから」
「嫌な空気にしたくなかったから」。
4歳くらいの時に両親が喧嘩をしていて、離婚したらどちらに着いていきたいか聞かれて困り大泣きしたことをよく覚えています。私が10代のころには「離婚したら?」なんて自分から親に伝えたこともあったかと思いますが。
両親の喧嘩で、子どもの私は嫌な気持ちだったのです。
だから、子どもの前で喧嘩をしたくありませんでした。
だから、なるべく夫にゆとりがある時に話したいと思っていました。
でも、大体いつも疲れているオーラなので話す機会が見つかりませんでした。
結局、喧嘩しないように避けていても、夫婦としては、関係が改善することはないですね。
もっと気持ちを伝えあわなくては!
私がこれからどう過ごしたいか、どういう夫婦になりたいか、なれなさそうなら解消するか、どうしたいのかをよりハッキリさせる必要がありました。要求を書いてまとめていました。(笑)
子どもの頃は、自分で稼げなかったから親の顔色を見て生きていく必要があったけれど、今はもう自立できる。
夫の顔色なんて見なくていいんだ。(見るけど 思いやり過ぎる必要なし)
コロナ禍で大変なのは夫だけじゃないんだ。
私も、子どもも、世間の皆さんも皆大変なのです。
私はもっと要求していい。
自分の人生は自分で楽しくしないといけない。
したいようにする。
私は夫を思いやっているが、夫はどうか。
私の気持ちに寄り添おうとしない夫は必要ないかもな~。
と思うようになりました。
先ず自分がどう暮らしていきたいか、何が嫌か、それをハッキリさせておくのが大事だと改めて感じました。
多分、読者の方にも
パートナーと揉めたくないがために距離を取ったり、話し合わなかったりしている人がいると思います。
でも、話し合いを避けていても関係が改善することはないです、きっと。
話さないでいると、喧嘩にならないどころか、どんどん気持ちが離れていきます。((笑)。むしろ逆効果。
会話って大事です。😊 ←だからこそ、子どもが小さいころから関わって話を聴いてあげてほしいです。
片付けに真剣に向き合っていると、自分がどのように暮らしていきたいか、
何が弊害になっているか、
何に対して恐れがあるのか、
それは本当に恐れる必要のあることなのか、
色々と考えることになる場合もあります。
時には、成育歴やトラウマと向き合うことになり苦しむこともあるかもしれません。
でも、それはきっとココカラの人生をよくするために必要な苦しみだったのでしょう。
(自分に言い聞かせています((笑))
片付けはこれからの人生に向き合うのに必須です。
なんだかまだうまく纏めて書けていなくてすみませんな状態ですが、
あまりにも更新されないと存在を忘れられてしまうので、更新します。
私に片付けの申し込みができる貴方は既に大人の方です。
どのように暮らしていきたいかは貴方が決められます。
遠慮しないで、どんどん希望を叶えてほしいです。
そのためのお手伝いがしたくて、片付けの仕事をしています。
よかったら理想の暮らしをお聞かせください。