「一生懸命伝えているのに、なぜか相手には伝わらない」そんなもどかしさを感じたことはありませんか?
「片付けられないのは、夫のせいだ」
ずっとそう思っていました。
モノが多くて、何ひとつ手放さない夫。
私がいくら訴えても、全く変わらない日々。
――でも今、振り返って気づいたことがあります。
「伝えているつもりでも、本当の意味では伝わっていなかった」
そして何より、私自身が、自分の本音に気づいていなかったということに。
ちゃんと伝えていた。だけど、伝わらなかった
夫のせいで片付かないと思っていた時の私は、本当に必死でした。
「夫の物置部屋があって、毎日がしんどい」
「微熱が続いている、夫源病と思う」
「このままだと鬱になるかもしれない」
そう言葉にして、夫に伝えていたはずです。
でも、彼は変わりませんでした。聞いてはくれても、行動は変わらない。
「なぜ?これ以上どうすればいいの…?」
なぜ私の嫌がることをし続けられるのだろう。
正直、絶望すら感じていました。

ストレスで熱が出ていたとしか思えませんでした。
病院に行ってもどこも悪くないと言われてしまう(^-^;。

加工された本音は、届かない
あるとき、私は気づきました。
私は確かに“伝えて”いた。けれどそれは、とても柔らかく、遠回しな伝え方でした。
「悲しい」「つらい」「やめてほしい」そんな気持ちをそのまま伝えることが、どうしても怖かったんです。
「相手を責めてはいけない」
「関係が壊れてしまうのが怖い」
「優しく、わかりやすく伝えないと」
そう思って、どんどん本音に“フィルター”をかけていた。
その結果、私がどれほど苦しんでいるかが、相手には伝わらなかったのだと思います。
勿論、彼が他人の気持ちを分かりにくいという特性も、ものすごーーーーーくあるのかもしれませんが。
感情を出しても、受け止めてもらえなかった子ども時代
今の私が「我慢」や「遠慮」が染みついていたのは、やはり幼い頃の影響が大きかったのだと、今ならわかります。
なぜ私は、こんなにも“我慢”が癖になっていたんだろう。
思い返せば、子どもの頃の家庭には
「安心して感情を出せる場」がありませんでした。感情を出しても出しても受け止めてもらえていませんでした。「親に向かってその態度は何?」とか「お姉ちゃんだから(我慢しなさい)」だとか……
母は頻繁にイライラしていて、ヒステリックに私へ感情をぶつけてきました。
それが本当に嫌だったからこそ、私は「絶対にああはならない」と、自分を抑えるようになってしまいました。変に両親を尊重、理解してあげすぎてしまうようなところが私にはありました。じゃないとやってられなかったんです。
親が変だと思いたくないから、自分にも悪いところがあると思うようにしたりしました。
変だと思っていても、自立してないから適当に言う事聞きながら流すしかないですよね。
両親は表面的には仲が悪くは見えなかったかもしれません。
けれど母は夫に言いたいことを我慢し、ワンオペで沢山のことをこなし、
そのストレスを私にぶつけることで発散しているように感じていました。夫は家事育児一切しないし、息子も頼りない、せめて娘のあなたくらいは煩わせないでくれ、私を助けてほしいと思っていそうでした。
母が沢山、目一杯我慢している分、長女の私にも「それくらい我慢しなさい」という気持ちがあったのかもしれません。怒られるようなことではないのに怒られて傷つきました。
だから私は、感情的になること=人を傷つけることだと思い込んでいたのだと思います。
「人のふり見てわがふり直せ」という言葉のとおり、私は感情を爆発させないように、
一度よく考えて、冷静に、穏やかに伝えようとしていたのです。
■ 過去の自分を、夫に投影していた
今思えば、夫との関係は、過去の親子関係の再演のようでもありました。
「わかってもらえない」
「こっちが我慢すればうまくいく」
「どうせ変わらない」
そんな諦めの感情を、私はずっと心のどこかで抱えていました。
でも本当は、誰かに「ちゃんと気づいて」「寄り添って」と心の中では求めていた。
夫は変わらないと思っていたけど、
実は一番変われていなかったのは、私自身だったのかもしれません。
相手を変えることはできない。自分が変わった方が簡単とはいいますが、自分の中の核の部分、幼いころからの思い込み、考え方の癖……そういう部分は簡単には変われないものなのだと思います。
■ 私が変わると、夫も少しずつ変わった
私は少しずつ、自分の気持ちに正直になる練習を始めました。
●我慢を我慢と認めること (ここが私にとって難関。我慢しているつもりがないから)
●嫌なことに「嫌だ」と言う勇気 (そもそも寛容にならざるを得ない環境だったせいで「嫌」と気づきにくい)
●自分の心の声を、まず自分でちゃんと聞くこと
すると不思議なことに、夫の態度も少しずつ変わっていきました。
今では、モノを手放すことにも以前より協力的です。
「この服、もう着てないから捨ててもいいかも」と、彼の口から言われたときは、正直驚きました。
今思えば、私が喜怒哀楽の「怒」「哀」をタブー視していたのを、夫が無意識のうちながら変えてくれたのだと思います。
「なんでこの人は私が嫌なことをするのだろう、協力する姿勢を見せないのだろう」という怒りや哀しみをたっぷり私に感じさせて、表現させてくれました。
そして、表現しても大丈夫なこと、全く問題ないことを、夫が結果的に教えてくれました。
きっといつだってマイペースで自由気ままに生きている彼にそんな意図はなかったはずですが、私はそこから学ぶことができたんです。
■ おわりに:同じように悩むあなたへ
もし今、あなたが「伝えても伝わらない」と感じているなら――
それは、あなたのせいじゃありません。
むしろ、それでも伝えようとしてきたあなたは、本当にすごいと思います。
ただ一つ言えるのは、まず自分の本音に正直になること。
それが、関係を変える第一歩になることもあります。
イラっとした時は正直な気持ちが見えやすい時です。どういう時にイラっとしたのか、
なぜイラっとしたのかを紙に書いてみると、どうしたかったかを探りやすいと思います。
片付けは、自分の心と向かい合うことを手助けしてくれます。
モノを手放すように、我慢や間違った思い込みも少しずつ手放していい。
「本当はどうしたいの?」
「本当は何を感じてるの?」
それを一番に大切にする片付け、一緒に始めてみませんか?
「どーせ私なんて」っていう間違えた思い込みを手放すことを私は手伝いたい。
なぜなら私自身がきっと心のどこかで、ほんの少しでもそんな気持ちを持っていて、
それが生きづらさに繋がっていたと思うから。
変わろうとするその一歩一歩が、ちゃんと未来を変えていきます。
私もまだ道の途中ですが、一緒に少しずつ進んでいけたら嬉しいです。